言葉には重さがありません。
でも、それを受け取る人にとっては 重くも軽くもなります。
最近は 軽い言葉が多くなりました。
オッサンの崇拝するミスター天声人語と呼ばれる人のコラムで「重い言葉」というのがあります。
新聞の一面の下側の帯みたいなところに、そのコラムがあり、天声人語はお手本であると言われたこともあります。
今は昔の素晴らしさが消え失せたのですが、その当時天声人語と4コマ漫画の「フジサンタロウ」、「サザエさんこぼれ話」を見て風刺を笑い、うーんと考えたくて新聞を購読していたオッサンです。
ミーハーでした。
最近は 軽い言葉ばかりになりました。
それが流行かもしれません。
重い言葉は、唸るような感じになるから敬遠されるのでしょうか
テレビのキャスターや取り巻きの人の言葉もそう言えば軽い言葉ばかりになりました。
取り巻きが居ないと間が持てないので置いている。もしくは、新聞やテレビの論説委員みたいな権威をひけらかして述べている といったところでしょうか。でも、その権威をひけらかしているのに、こと自分や自社のこととなると大アマになってしまう。
見ている人は みんな気づいているのに 恥ずかしくないのでしょうか?
お金のため? 会社のため? 話をしているのでしょうか
そう思ってしまいます。
ですから、ながら族のように ただテレビをつけているだけ の人が増えてきたのだと思います。
視聴率が高くても、会社のイメージが向上したり、商品が売れるようになったとは限らないのはそういった理由ではないかと思います。
そうなると 広告をテレビから他の媒体に変更するのは当たり前で、テレビは淘汰される時代に変わろうとするわけです。
すると NHKの一人勝ちになります。
だって 有料放送なんですから。
これから先も政治的な話題は尽きないと思います。
そんな時、今の状態が続けばどんどんテレビそして、新聞もそうですが、見る人は減っていきます。
結局は 「毒されると無くなる」 当たり前と言えば当たり前のことかと思うのです。
それをお笑いの立場から今のテレビを評していた松本人志という人 残念ながら もうテレビには出てこないでしょう。
芸能界は、中から変えようとする芽さえも摘んでしまう そういう世界です。
危うい時代になりつつ と書くべきか、混沌とした時代 いやいや 新たな時代の幕開け と書くべきか その人の立場によって言葉は変わります。
でも、そういう時代なのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。