行政府で仕事上書かれている文書を行政文書と呼ばれています。意思決定が下から上にという、いわば、お伺いを立てて ということなのでしょうか
そうなると 最終決定権を持つ人のところまで行くことになります。
会社であれば社長ですが、全てが社長に行くはずもなく、代理決済ということで、ここまでは副社長で、これは部長でOKよ というところかと思います。
つまり、全てが 社長の目や耳に入るとは限らない と言うことになります。
これが、トップダウン だと 話が変わってきます。
「上からこんなこと言われた」けど、できる?
そんなことを下が、ああでもない、こうでもない としていきます。
結論ありき なのですが、その方向性が正しいかどうかをただしているとは思いますが、こういのって 日本人は不得意です。
日本人はどこかお殿様みたいに 下からの意見を待っているというところがあります。
でも、その分 時間をロスしているんですけど・・・
組織に属している人であれば ほとんどの人が納得しているものと思います。
そういうのが 世界に遅れる原因なんだよ! みたいに声高に叫ぶ人がマスコミの人に多いような気がしますが、そんな人って一匹狼みたいな部署なんですよね。
当たれば ドンドン上に上がれるけど、そうじゃなかったら・・・・の世界の人。
オッサンたちは残念ながらそういうところではありませんでした。
とすると、言われたことに対し、どうできるか を問われていますし、こうするんだと思いつつも、上司の顔色を見ながら意見を述べ、仕事を進めざるを得なかったのが現実です。
さて、この放送法の解釈についての行政文書ですが、オッサンから言わせると、上に上げるべきものではない。つまり、大臣まで必要はない。でも、政府内のお偉いさんから問われていたから、何かしらの返事をしなければいけない。
だから、ある程度もっともらしい文面を作成する必要があった。
もっともらしいとは 大臣や内閣総理大臣のコメント等がちりばめられてあるもので、大きくはないが、結論として導かれる項目が網羅されていればOK
もちろん 仕事上のことを書くものだから 結論部分で誤りは書けない。
オッサンの個人的見解ですが、野党の質問の要としている点は 結論が変わっていないことを、「空気」「ムード」という曖昧な言葉で国がマスコミを強要していると言いたいがためのものだったのではと思っています。
だからこそ、当時大臣だった人は、前提であるところが誤っているということを「ねつ造」という強い言葉で表現して対応し、今の騒ぎになったんだと思います。
また、「行政文書だから書かれていることは正しい。」としているところもよくわかりません。
そうでもないことがあるからです。だって、身内に説明する資料なんですから。しかも、決済区分が大臣や官房長まできていないのに、責任の取りようもないかと思いますし、全ての行政文書は大臣まで上がるとしたら、大臣は夜も寝れなくなります。
この有名になった文書は取扱厳重注意となっています。
見せてはダメよ くらいの 区分なのでしょうか?
行政文書は 国会議員には全て見てもらうものなのでしょうか
誰が、開示したのでしょうか?
秘密保持というのは公務員なら当たり前だと思いますが、それを犯してまでとはどういうことなのでしょうか?
騒ぎ立てれば騒ぐほど、野党の質問者の立場が危うくなるのだということをわかっているのでしょうか?
この動きを、新聞はどう表現するのでしょうか?
政府を批判する気持ちが落ちていたというムードや空気が漂っていた と 表現するのでしょうか?
もしそうなら、そんな発言をするテレビ局はないと思いますが、オッサンが知ってる限りでは、言いたい放題 やりたい放題 だったと思います。
常に批判者たれ!と行動し、報道しない自由をも使用しながら、自分たちの思いを誘導してきたマスコミではなかったのでしょうか?
オッサンにはそう写っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。