オッサンは一人っ子です。
オヤジの給料だけでは食べていけず、お袋も働いていました。
家に帰っても誰もおらず、さみしいばかりでした。
独りぼっちというのがどれほど辛いか、これが子供時代の思い出です。
今でも独り言をブツブツ言っているとよく言われます。
こんなさみしがり屋な自分が大人になり、結婚するようなことがあれば、いずれ子供もできるでしょう、そしたら、まず2人は欲しいこと、そして、母親は家にいて欲しいと強く思うようになりました。
そしたら、一人の苦しさを味わなくてすむと思ったのです。
これは オッサンのわがままだと思います。
結婚して、まずカミさんといろいろ話をしました。
その中に、この家にいて欲しいというわがままを伝えました。
カミさんは仕事も好きでそのためいろいろな資格も持っていました。
きっと仕事をしだしたら、オッサンよりも稼ぐんじゃないかと思うほどです。
でも、お願いしました。
納得してもらい、主婦として生活してもらってます。
カミさんの家もお母さんは家にいて、お父さんが仕事しているという、典型的な昭和の家庭です。
オッサン 結婚当初から5年くらいはホントに貧乏暮らしでした。
月5万円くらいしかカミさんに渡していません。
足らない分は、カミさんが結婚までに貯めたお金を取り崩し、それを生活費に充てていたそうです。
6年目以降は、何とか生活できるくらいの給料になっていったようです。
そんなこと後で知り、すまないなぁと思った次第です。
それで、カミさんの誕生日に何かプレゼントをあげようと思ったわけです。
毎年ではなく、お金をちびちび貯めてある程度の額になったらネックレスやリングを購入しています。
さて、なぜ、そのようなことを今回書き出しかというと、「共働き」できなかった環境を理解していただきたかったからです。
中には「共働き」は必須という方もおられと思います。
でも、我が家ではそれはしませんでした。
「共働き」ができれば、その1に書き出した金額にカミさんの給料が加算されます。
ひょっとしたら、カミさんの給料に自分の年金や健康保険が含まれているかもしれません。
そうなると、生活資金は潤沢になります。
選択一つで、生活スタイルが変わる典型かと思います。
では、我が家の場合、足らない資金をどうするか
年金や健康保険をどう対応させていくか
これが問題になってきます。
ついでに、オッサンのお小遣いも・・・
老後の生活なんですから、世知辛く住みたくはありません。
水戸黄門と同じで最後はハッピーで終わりたいです。
どうハッピーに最後を飾れるか これからが勝負だと思います。
ということで その3 に続きます。
最後まで読んでいただき ありがとうございました。