おっさん 前職を55才で定年を迎えました。
その間 引っ越しを16回ほどしました。
やった仕事は ほぼ初めてのことばかりで、戸惑いばかりでした。
北は山梨県から南は鹿児島県までで、出張は北海道、沖縄、四国そしてハワイとあっちもこっちも行ってました。
そんな中、いろいろな地域の方々と親しくさせていただき 楽しい思い出ばかりです。
兵庫県豊岡市では、冬湯がいたカニを差し入れでもらい、3時のおやつで食べたことや、ハワイでは、ハンバーガーを買うとき、ピクルス多め、タマネギ少なめ、トマト多めとかそういう注文もあるのを知らず、店のお兄さんが戸惑っていたのをおっさんの前に並んでいた幼稚園のお嬢ちゃんから「May I help you?」とか言われ、いろいろ教えてもらい何とか購入できたこと、大分県別府市では送別会として企画していただき遅くまで付き合っていただいたこと鹿児島県霧島市では盆踊りにも参加せてもらったことなど本当に感謝しかありません。
定年ということが目前になり、自分は何ができるんだろう?と自問しながら過ごしていました。
その当時の給与水準から7掛けほどの収入から どうやって生活できるのだろうか?
なんて 考えていました。
幸いにして 再就職先が1発で確定し、それも給与水準がまだ良いところだったので、かみさんは大喜びでした。
でも、仕事の大変さは給与水準とほぼ比例しているので、ボロボロ状態ではあります。
それまで 部下 といわれる人がいて、そして 上司 と呼ばれる人もいて その間で悩んだ経験がありました。
そして、部下をどう上に認めさせるか それを考えながらやってきたつもりです。
でも、定年を迎えたその日から 上司はいても部下がいない世界となりました。
すると、人のことをあれこれ考える必要がなくなったのは すごく楽になりました。
自分のことだけ考えれば良いというのは気楽なものです。
ノルマを達成して上司からよくやっているとお墨付きをもらって若干給料が上がる という選択は今のおっさんにはできません。
「のんびりやって いいじゃない。」
「ほどほどでいいじゃない。」
というのが おっさんのずぼらな性格です。
それで、そこそこ給料もらえれば良いんですから。
でも、もうあと1年ほどで 今の給与体制が崩れます。
63才からは、また給与体系がガクッと落ちてしまい、時給計算となってしまいます。
今まで給料の上乗せになっていた残業も、時間制限が始まります。
そして、それから65才で卒業で年金生活になる予定です。
そんな生活が目前まで迫っていますが、定年を迎えた日を振り返れば、今ならまだ準備ができる気がします。
『生きがい』 『やりがい』 そして 『収入』
それらを どう考えるのか、そして、両立していくためには どうすればいいのか
いるもの いらないもの そういった選択があるのか ないのか
充実した年金生活者となるためのスムースな移行はどうするのか
気持ち、収入だけではなく、健康の維持もあります。
新たな視点で見なくちゃいけません。
かみさんに言わせると、「だから 老化しないよ」と言いますが、安心できる生活となっているかどうか?それはわかりませんから、不安です。
こんな気持ち 心の奥底にあるものを引っ張り出して さらけ出して恥ずかしいのですが、誰でも 一度は思う気持ちではないかと思います。
また、書かなければ自分自身でもわからない。というのもあり、さらけ出してみました。
最後まで読んでいただき ありがとうございました。