もう相当古い話です。
ある年の2月になってからですが、玄関前に立って呼び鈴を押したら、娘がドアを開けました。
すると、「変なオジサンが立っている!」と叫んで急いで家の中に入っていきます。
こちらとしては『?』です。
約1ヶ月ぶりの帰宅でした。
カミさんがそれから直ぐにお風呂を沸かしてくれました。
それから、ゆっくりと3週間ぶりでしょうか、お風呂に入りました。
気持ち良かったことを覚えています。
汚い表現になってすみませんが、体にこびりついたアカが何回か洗っていくと削ぎ落とされるような感じでしょうか・・・
お風呂からあがると、娘たちが
「あ パパだぁ パパが帰ってきている!!」と叫んでいます。
『良かったぁ 覚えていてくれたぁ〜』とつくづく思いました。
これが、オッサンの神戸から帰ってきた時の思い出です。
それから20年後くらいに兵庫での勤務になりました。神戸のような都会ではなく日本海に程近いところでの勤務でした。でも、あの神戸を記憶しているので、六甲山系の北側なので、もうあんなことはにはならないだろうと、変な思いもありました。
たまに会議で神戸を訪れ、町の中心地を歩いたりすると、こんなに変わったんだなぁと思うばかりです。
鉄人28号の像も見ました。
ま新しくなった商店街 でも、シャッター通りになっていました。
被災地のまだ学校の体育館などの所から何食わぬ顔で出勤する人たちを見て、「強いなぁ」とも思いました。
ぱっと見 普通の出勤状況と変わりません。
でも、その土台となる生活の地はボロボロです。
その後オッサンは 熊本地震で 現実を知ります。
たまたま オッサンの家は大きな被害にはなりませんでした。不幸中の幸いです。
でも、一時水道が止まり、生まれてすぐの赤ちゃんにミルクを作れず、水、紙おむつの確保に右往左往した事を思い出します。
でも、生活しなければ 生きていけません。
生活しようと努力するからこそ、政府も後押しするために力を与えてくれるということだと思います。
その時は 安倍晋三政権でした。
そして、今の県知事でした。
熊本にとって本当によかったです。
カミさんと昔の話をしていたら、そんな話で盛り上がりました。
皆さんも 「変なオジサン」と呼ばれないようにしましょう!
オッサンは慣れています。。。。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。