阪神淡路の震災が発生してもう20年を超えるんですね。
おっさんはその頃 広島に住んでいました。
そして、その日広島でも揺れました。それもびっくりするくらい。
それで 思わずテレビをつけました。
そしたら、冗談じゃないよ みたいな調子で報道しています。
えぇぇー
そうしたら、ヘリからの状況が映し出された神戸が大変な状態になっていることがわかり、それから テレビ番組の全てがこの神戸周辺に焦点となった番組になっていったんです。
すさまじかったです。
良いこと、悪いこと 評論家の先生たちは テレビに向かい 話をします。
そして、少し時間が経過したら その評論家の先生たちはテレビに出なくなりました。
それが この阪神淡路 そして、東日本、で決定的だったのが、オッサンが今生活している熊本で発生した 熊本地震でした。
阪神淡路でいろいろなノウハウを教えていただきました。
そして、それを 東日本震災で 再度 確認・修正することができました。
そうして 熊本地震につながっていきます。
熊本地震の2日前ですかね、オッサンの娘は家を飛び出して結婚したんですが、子供が生まれました。娘がまだまだ余震が続くなか、我が家で子供を育てたいと涙ながら訴えてきました。
あの地震がなかったら、オッサンの娘の子供はオッサンになついてはくれなかったと思います。
オッサンは今となったら、良い風にしか考えませんが、その当時はすさまじかったんです。
たまたま、「水」の心配さえしとけば 何とか家で生活ができるというのが、熊本地震の時の我が家の状況でした。
たまたま その前の週に コストコでいっぱい食料品を購入して冷蔵庫に入れていました。
家庭菜園をするというのは 一つは何かあっても野菜を確保するというのもあります。
停電がほとんどなかったので、モノが腐るという最悪の事態は避けることができました。
大きな揺れが幾つもあったんですが、我が家は何とかもちました。だいぶゆがみは生じたと思いますが・・・・・
そういった 幸運 があったから・・・・
でも、イメージができたのは 阪神淡路のおかげです。
ただただ 脱帽し、被害に遭われた人、亡くなられた人たち、被害に遭われた人たちに哀悼の意を表します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。